2005年04月26日

・よみがえる「六段の調べ」街に



福島民報 - 論説
よみがえる「六段の調べ」街に


 いわき市ゆかりの近代筝曲の祖・八橋検校の代表作「六段の調べ」が今月から平の街に流れ出した。また、同時に「六段の調べ」のCDが市内小中学校に贈られた。これを機に「八橋検校を知り、日本古来の音楽を広めよう」という機運が芽生え始めている。

 「六段の調べ」に取り組んだのはいわき平ロータリークラブ(RC)。国際ロータリー設立100周年記念事業として八橋検校再発見事業実行委員会(松崎康弘代表)と協力し実現させた。「六段…」が街に流れるのは、実は初めてではない。昭和33年、同RCは愛の鐘としてミュージックサイレンを市に寄付、市庁舎やデパート、そして旧城跡から「六段」が流された。しかし、装置の老朽化によりほとんど音が聞こえない状態になり、市民の耳から遠ざかっていた。

 なじみの深い「六段」を甦(よみがえ)らせようと取り組んだ事業で、いわき市出身で紫綬褒章、勲四等旭日小綬章を受章した筝曲演奏の第一人者だった故高野喜長氏の演奏から音源を取り、CD化した。現在、「六段」はJRいわき駅北の小高い旧城跡から街に向けてCDの曲を流している。また、同RCは市内小中学校128校にもCDを寄贈した。

 同RCの伊藤盛敏会長は「子供のころ『六段』が流れるたびに、起きる準備を、家に帰る時間だ、と思い起こさせてくれた懐かしい思い出がある。子供の成長を見守っていた“愛の鐘”だった」と話している。かつてのように「六段」が子供らの安全・安心に目を配る存在になることを願い毎日3回、流す考えでいる。

 復活した「六段」だが、作曲した八橋検校は、出生地に諸説あるものの「筝曲大意抄」では、いわき市出身となっている。幼少より目が不自由だったが、10代のころから三味線の名手として知られていた。のちに筑紫筝(ちくしごと)を習得、音階を改良し半音入りの陰音階による平調子を編み出した。また、今で言うシンガーソングライターともいう筝組歌の弾き語りを創作し、それまで貴族や武士など特権階級の音楽だった筝を芸術音楽に発展させ、一般大衆でも親しめる音楽に昇華させた。

 こうした創作活動に平藩主内藤風虎が5人扶持を与えて支援していた。江戸時代初期、検校といわき市の結び付きが近代筝曲の礎となる八橋流を生み出したといえる。検校は貞亨年間1685年、72歳で世を去るが、この年、欧州では楽聖バッハが生まれている。その時代背景や独創的な音楽観からも検校の偉業は異彩を放っている。

 だが、現代のわれわれは日本古来の邦楽に縁遠い。西洋音楽を重んじた文部省の方針で伝統音楽が教育現場で軽んじられてきたからだ。「自国の文化を知らずして他国の文化を理解することはできない」という。まず、自国の歴史や文化に触れることが大切だろう。

 「六段」が街に流れ、学校ではCDを聴くことができる。教師らが中心となったいわき日本音楽クラブも結成されている。子供らに伝統音楽への理解が深まれば邦楽フェスティバルなどの動きも出てこよう。八橋検校のDNA(遺伝子)が息づいている地域ならではの取り組みを注視したい。(斎藤 修一)
posted by じゅりあ at 16:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ◆ 瓦版の巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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